Ⅱ-1 遺伝子診断・遺伝カウンセリング領域
以下の条件を満たすクライエントに対して,BRCAの遺伝学的検査を提供することが推奨される。
体細胞病的バリアントの蓄積によって生じるがんの診療では,発生臓器を問わず,がん易罹患性遺伝子の生殖細胞系列の病的バリアント(遺伝性腫瘍)の可能性について考慮すべきである。
特に,乳癌・卵巣癌・前立腺癌・膵癌を発症した場合,頻度・浸透率が最も高いBRCA1/2の遺伝学的検査を適切に提供する必要がある。しかし,個々のがんが遺伝性であるか否かを明確に判定する方法がないため,現時点では10%程度BRCA1/2に病的バリアントを保持する可能性があると推定される場合に遺伝学的検査が提供されている。しかし,この適応基準は遺伝学的検査の費用対効果や検査に要する時間,遺伝診療体制の整備等の医療状況に依存するもので,時代とともに変化するものであることを理解する必要がある。
一方,HBOCの家系員は,がん発症・未発症を問わずBRCA1/2の病的バリアントを保持している可能性が最も高い対象である。国内ではがん未発症者の遺伝学的検査および医学管理はいまだ保険適用となっていないが,家系員に対して適切に遺伝学的検査を提供することがHBOC の予後改善には非常に重要である。
PARP阻害薬オラパリブが2018年以降,BRCA病的バリアント保持者の乳癌,卵巣癌,前立腺癌および膵癌で順次保険適用となり,コンパニオン診断としてBRCA遺伝学的検査も保険収載された。PARP阻害薬で予後改善の可能性のあるがん患者が治療機会を逸しないように各がん腫で保険適用に応じて適切に遺伝学的検査を提供する必要がある。
また,BRCA1/2はがんゲノムプロファイリング検査で体細胞に病的バリアントを認めた場合に生殖細胞所見である可能性の最も高い遺伝子の1つである。2019年6月の「がんゲノム医療」の保険収載以降,がんゲノムプロファイリング検査の件数が増加しており,BRCA1/2の体細胞病的バリアントが検出される機会が増えている。がん遺伝子パネル検査の生殖細胞系列所見についても適切に遺伝学的検査を提供する必要がある。
遺伝医療の目的は,遺伝リスクのある患者(クライエント)に対して適切な情報提供を行い遺伝学的検査や医学管理を含むクライエントの望ましい行動変容を促すことにある。その中には,家系員への情報提供や遺伝学的検査・医学管理も含まれる。
遺伝性腫瘍の特徴としては,①若年発症,②多重がん(多発がん・重複がん),③特徴的ながん腫の家系内集積の3つがある。従来は,これらの基準を満たす遺伝リスクが高いがん患者を診療の現場でスクリーニングし,遺伝診療部門で詳細な遺伝リスクの評価を行い,遺伝カウンセリングを経て遺伝学的検査を提供していた。
しかし,コンパニオン診断やがんゲノムプロファイリング検査の普及や予防・サーベイランスの保険収載による遺伝学的検査の増加に伴い,リスクのある患者すべてに対面での遺伝カウンセリングを行い遺伝学的検査に対する意思決定を行うのは,遺伝診療部門の人的資源や費用対効果を考慮すると難しい1)。そのため,遺伝学的検査を推奨すべき対象をがん診療に関わる医療者がよく理解し適切な情報提供を行い,意思決定に遺伝カウンセリングを必要とする患者や病的バリアントが検出された患者を遺伝診療部門に紹介する流れが必要となる。
BRCA1/2に既知の病的バリアントを保持するHBOCの家系員では発症・未発症にかかわらず,近親度に応じて同じ病的バリアントを保持している可能性が高い(第一度近親者で50%,第二度で25%)。未発症の段階で遺伝学的検査を行い,病的バリアントが確認されれば発症予防やサーベイランスを行うことによる死亡率減少が期待できる。一方,病的バリアントがないことが確認されれば乳癌・卵巣癌の発症リスクは一般女性と同等と推定され不必要な不安の解消につながる。そのため,現時点では国内で保険適用はないものの,発症・未発症を問わずHBOC家系員への遺伝学的検査の提供が推奨される。
遺伝学的検査がSanger法とMLPA法で行われ費用が高く長時間を要した時代には詳細な遺伝学的リスク評価を行うべき対象を提示し,遺伝学的検査の対象者を絞り込んでいた。しかし,次世代シーケンサーの登場により費用の低減と検査時間の短縮が各段に進み,2015年頃には10%程度病的バリアントを保持する場合は遺伝学的検査を提供すべきであるとの考えが主流となっていた2)。NCCN*ガイドラインでも2020年版から詳細評価項目が削除され,検査基準(表1)3)のみとなった。そのため,医療者が検査基準をよく理解してBRCA遺伝学的検査を提供していく必要がある。
個々のがん腫の検査基準はそれぞれの疾患別BQで詳細に述べられているので,本BQでは遺伝学的検査を提供する基本的な考え方について解説する。
乳癌では,遺伝学的リスク評価,遺伝カウンセリングおよび遺伝学的検査による害(不安・抑うつ,サーベイランスでの高い偽陽性率や予防治療の合併症等)を考慮して,国民全体に予防医学の指針を示す米国予防医学専門委員会(U. S. Preventive Services Task Force:USPSTF)では家族歴に関する簡単な7つの質問(表2)を行い,家族歴のない場合は遺伝リスクの評価や遺伝カウンセリングおよび遺伝学的検査を提供しないことを推奨している4)。一方,乳癌診療に直接従事する外科医の団体,米国乳腺外科学会ではBRCAの病的バリアント保持者を見逃さないために乳癌の病歴があるすべての女性に遺伝学的検査を提供すべきと推奨している5)。
選択バイアスのない日本人女性の乳癌患者7,093人を対象とした遺伝性乳癌関連遺伝子パネル(BRCA1,BRCA2,PALB2,TP53,PTEN,CHEK2,NF1,ATM,CDH1,NBN,STK11)検査の結果ではBRCA11.45%,BRCA22.71%と計4.16%にBRCAの病的バリアントを認めている。若年者ほど病的バリアントの保持率は高い傾向にあるが超高齢者でも3%以上の病的バリアントの保持者がいて,約2/3がBRCAの病的バリアントであった6)。
乳癌は罹患数が非常に多いため,家族歴・病歴から病的バリアント保持の可能性が10%程度はある対象に絞り込んで検査を提供するのか,すべての乳癌患者に提供するのかは費用対効果等も考慮したうえで決定すべき問題である。すべての乳癌患者のBRCA1/2およびPALB2の遺伝学的検査を行うと同時に,家系員の遺伝学的検査および病的バリアント保持者のサーベイランスやリスク低減手術を提供すると,家族歴や病歴で絞り込むよりも費用対効果に優れるとの報告もある7)。
卵巣癌ではオラパリブの初回化学療法後の維持療法が保険適用となったため,新規に診断された卵巣癌患者の多くがコンパニオン診断の適応となる。また,日本人卵巣癌患者230人を対象としたHirasawaらの報告でもBRCA18.3%,BRCA23.5%と計11.8%にBRCAの病的バリアントを認めていることから8),10%という視点からみても卵巣癌既発症者では全例でBRCA遺伝学的検査が推奨される。
NCCNガイドラインでは転移性前立腺癌や膵癌の発症者に対してもBRCA遺伝学的検査が推奨されている3)。Momozawaらによる日本人前立腺癌患者7,636人での前立腺癌易罹患性遺伝子パネル検査(ATM,BRCA1,BRCA2,BRIP1,CHEK2,HOXB13,NBN,PALB2)ではBRCA10.2%,BRCA21.1%計1.3%と低頻度であり,全遺伝子での病的バリアント保持者は発症が2歳ほど若く,乳癌・膵癌・肺癌・肝癌の家族歴が多かった以外は,BRCAに高頻度の病的バリアントを保持する集団が同定できていない10)。一方,去勢抵抗性の前立腺癌では221人中BRCA1が2人(1%),BRCA2が19人(9%)と合わせて10%で生殖細胞系列の病的バリアントが検出されたとの報告もあり11),転移性前立腺癌や悪性度の高い前立腺癌ではBRCA遺伝学的検査の提供を考慮する必要がある。
また,日本人膵癌患者1,005人を対象とした遺伝学的検査ではBRCA10.90%,BRCA22.49%,計3.39%に認められたが,発症年齢も病的バリアントのない患者とほぼ同等で,胃癌・卵巣癌の家族歴が高いことが示されたが,病歴・家族歴を利用した様々な予測モデルで病的バリアント保持者の推定が困難であることが示された12)。膵癌は乳癌・前立腺癌とは違いあまり罹患率の高い疾患ではないことから,病歴や家族歴から対象者を絞ることなく遺伝学的検査の提供を考慮すべきである。
NCCN:National Cancer Comprehensive Network
がんの薬物療法は患者の長短期予後を大きく直接的に左右するため,遺伝学的検査の提供対象について病的バリアントの検出率(効率)で判断すべきではなく,がんの治療歴やオラパリブの認容性を考慮し,適応があれば患者の治療選択肢を広げるために検査適応を考慮すべきである。2018年7月がん化学療法歴のあるBRCA病的バリアント保持かつHER2陰性の手術不能または進行再発乳癌,2019年6月BRCA病的バリアント保持者の卵巣癌における初回化学療法後の維持療法,2020年12月には去勢抵抗性の前立腺癌および治癒切除不能な膵癌におけるプラチナ系抗がん剤を含む化学療法後の維持療法でオラパリブが順次保険収載され,コンパニオン診断としてBRCA遺伝学的検査も承認されている。これらの保険適用内容を周知して,がん診療に関わる医療者は適切に遺伝学的検査を提供する責務がある。
BRCA1/2では他の遺伝性腫瘍の原因遺伝子(TP53,APC,PTEN 等)と比べ体細胞に病的バリアントが検出された場合,生殖細胞系列に病的バリアントを保持している可能性が高く,BRCA1,BRCA2ともに70%以上と報告されている13)。このため,がん腫を問わずがん遺伝子パネル検査でBRCA1/2の病的バリアントを検出した場合は,遺伝カウンセリングを経て遺伝学的検査を適切に提供する必要がある。
がん発症者すべてを対象にがん易罹患性遺伝子の生殖細胞系列の多遺伝子パネル検査を行うと,ガイドラインに準拠して患者を選択した場合の倍近くの遺伝性腫瘍が診断されることが米国で報告された14)。国内でもNCCNガイドラインの遺伝学的リスク評価を行うべき基準で乳癌患者を選択するとBRCAの病的バリアントの約1/4は検出できないことが報告された15)。
近い将来,がん発症の段階で治療方針決定のために多遺伝子パネル検査を行う時代が到来する可能性が高いため,病歴や家族歴から想定されない遺伝性腫瘍にも対応可能な診療体制が必要となってくる(遺伝BQ6 参照)。
BRCA1,BRCA2,genetic testing