Ⅱ-1 遺伝子診断・遺伝カウンセリング領域
既往歴・家族歴等からHBOCの遺伝学的検査が推奨されるケースでは,BRCA単独の遺伝学的検査に比べてMGPを行うことにより遺伝性腫瘍症候群の原因遺伝子の病的バリアント検出率が上がることは確実である。これにより新たな疾患リスクへの対策を行うことができる場合があり,将来的にはわが国においても標準的な検査方法となることが予想される。しかし,検索する遺伝子にはリスクや医学的管理のエビデンスが不十分な遺伝子が含まれること,検査費用,VUS検出率の多さ等に配慮し,適切な施行時期を含め十分な遺伝学的アセスメントを経て施行することが推奨される。また,多様な症候群を呈する遺伝子に対応が可能な各診療部門および遺伝部門と緊密に連携を行う体制での施行が望まれる。
米国Myriad社のBRCA1/2特許に関する裁判は,2013年に米国最高裁により,“自然界から単離されたDNA は特許適格外である”,と判決され,Myriad社の敗訴となった。その後複数の検査会社がBRCA1/2を含むMGPの提供を開始した。さらに,次世代シーケンサー(next generation sequence:NGS)の遺伝子解析技術の進歩により,遺伝学的検査は低価格高効率化が可能となったため,単一遺伝子を1つずつ調べる時代から多くの候補遺伝子を包括的に調べるMGPを行うことが主流となった。わが国においても近年BRCA以外の遺伝子を含む遺伝性乳癌・卵巣癌・前立腺癌・膵癌に関する疫学データが報告され,複数の検査会社によりMGPの提供が開始しており,将来的にはわが国においても標準的な検査方法となることが予想される。MGPを行う有用性と注意点,および保険収載の状況について整理し,現在~近未来のわが国におけるMGPの利活用について検討した。
選択バイアスのない乳癌患者7,000人以上を対象とした大規模コホートに対し,BRCA1/2を含む乳癌リスクが低~高リスクのMGPを行った報告が日本,米国,中国からそれぞれ報告されている1)~3)。それぞれ検索している遺伝子数は11,25,46と異なるが,BRCA病的バリアント検出率は4.2,4.6,5.3%であり,BRCA以外の遺伝子を含む全遺伝子の病的バリアント検出率は5.7,9.3,9.2%であった。BRCA1/2単独の遺伝学的検査と比較すると検出率が1.4~2倍向上している。また,選択バイアスのない卵巣癌患者を対象とした報告は日本4),欧米5)と中国6)から3報ある。それぞれ230,367,62人に対しBRCA1/2を含む11,30,21遺伝子のMGPを行った結果では,BRCA病的バリアント検出率は11.8,18,22.6%であり,全遺伝子の病的バリアント検出率は17.8,25.6,30.6%であった。BRCA1/2単独の遺伝子検査に比較すると1.4~1.5倍検出率が向上していた。既往歴や家族歴等からHBOCを疑う5,131人を対象に34遺伝子のMGPを行った結果,検出された病的バリアントのうちBRCA1/2が占める割合は51.4%,次いで高い検出率の遺伝子はCHEK2(7.6%),ATM(7.0%),PALB2(5.9%)であった7)。様々な背景のコホートを含む乳癌・卵巣癌に対する48のMGPの報告のメタアナリスの結果によると,検出された病的バリアントのうちBRCA1/2が占める割合は,乳癌で36%,卵巣癌で62%であった。BRCA1/2以外の遺伝子は,乳癌ではCHEK2(14%),ATM(8%),PALB2(8%)が多く,卵巣癌ではFANCM(6%),BRIP1(5%),ATM/CHEK2/RAD51C/RAD51D(各3%)が多かった8)。
選択バイアスのない前立腺癌7,636人に対しBRCA1/2を含む8遺伝子のMGPを行ったわが国の報告では,BRCA1/2病的バリアント検出率は1.3%であり,全遺伝子の病的バリアント検出率は2.9%であった。BRCA1/2単独の遺伝学的検査に比較すると2.2倍検出率が向上しており,検出率が高い遺伝子は,BRCA2(1.1%),HOXB13(0.8%),ATM(0.5%)であった9)。さらに選択バイアスのない膵癌1,005人に対しBRCA1/2を含む27遺伝子のMGPを行ったわが国の報告では,BRCA1/2病的バリアント検出率は3.39%であり,全遺伝子の病的バリアント検出率は6.67%であった。BRCA1/2単独の遺伝学的検査に比較すると約2.0倍検出率が向上しており,検出率が高い遺伝子は,BRCA2(2.49%),ATM(1.69%),BRCA1(0.9%)であった10)。
以上の結果は検索している遺伝子が報告により異なるが,MGPを行うことにより,病的バリアントの検出率が向上することは確実であると考えられる。しかし,アジア人の乳癌卵巣癌罹患者の病的バリアントの検出割合は欧米人と比較して,BRCA2が高く,CHEK2が少ないことや,検索する低リスク遺伝子の数を増やしても全遺伝子の病的バリアント検出率はそれほど向上しないことに注意する必要がある11)。
NCCNガイドラインの家族歴の項目でMGPの検査基準を満たす40歳,50歳の未発症女性を対象に,BRCA1/2単独の遺伝学的検査と,7遺伝子(BRCA1,BRCA2,TP53,PTEN,CDH1,STK11,PALB2)のMGPを行った場合について,費用対効果を算定した米国の報告がある。病的バリアントが見つかった場合に,リスク低減乳房切除または乳房MRIサーベイランスによる医学的管理を行うと想定した場合の増分費用効果比(incremental cost‒effectiveness ratio:ICER)は,40歳で23,734ドル/寿命年数(Life‒Year Gained:LYG),48,328ドル/質調整生存年(quality adjusted life‒year:QARY)であり,50歳で42,067ドル/LYG,69,920ドル/QARYと算定され,世界保健機関(Word Health Organization:WHO)のガイドラインの基準によるとMGPの費用対効果があると考えられる,と報告している12)。しかし,わが国とは検査費用等の保険収載の状況が異なる報告であることに留意する必要がある。
MGPに含まれる遺伝子は多様であり,乳癌卵巣癌リスクが低い遺伝子も含まれる。HBOC高リスク群2,000例と健常コントロール群1,997例を比較した報告13)では,BRCA以外の遺伝子の病的バリアント検出率はコントロール群1.6%に対して高リスク群4.0%と高リスク群で有意に高率に認められた。しかし,遺伝子別にみると有意に高率だった遺伝子はPALB2(26 例vs. 4 例,P<0.001)およびTP53(5 例vs. 0 例,P<0.03)のみで,両群間の検出率に差がない遺伝子も多く,乳癌卵巣癌の発症リスクに強く影響しない遺伝子が含まれていることが指摘されている。
また,リスクの程度,サーベイランス方法,予防医療等,医学的管理が不明な遺伝子が含まれている場合もある。NCCNガイドライン14)では,乳癌・卵巣癌・膵癌に関連する21の遺伝子のリスク,医学的管理が掲載されている。医学的管理のエビデンスが不明な遺伝子に対しては,病歴や家族歴に応じて個々に評価し,ハイリスクとして対応するか否かを検討することが推奨されている(遺伝BQ7 参照)。
BRCA1/2病的バリアント保持者に対し放射線療法は相対的禁忌とされているが,MGPによりBRCA以外の放射線感受性に関連する既知の稀な症候群の遺伝子が調べられることがある。常染色体優性遺伝形式を取り,放射線原性二次発癌のリスクがある遺伝子として,RB1,NF1,TP53,PTCH1と一部のATMが報告されており,放射線を含む治療とサーベイランスの選択や指標に用いられる可能性がある15)。
BRCA1/2は相同組み換え修復(homologous recombination:HR)経路に属する遺伝子であり,機能消失により相同組み換え修復不全(HR deficiency:HRD)となった腫瘍組織はPARP阻害薬が有効である16)17)。遺伝性乳癌卵巣癌の原因遺伝子の多くはHR経路に属し,BRCA以外のこれらの遺伝子が原因の腫瘍もHRDを呈することが予想され,PARP阻害薬の有効性が検証されている18)。米国ではすでにHRDをコンパニオン診断として進行卵巣癌に対しニラパリブが承認されている。2020年12月現在わが国では,PARP阻害薬のコンパニオン診断にはBRCA1/2検査のみが用いられているが,BRCA以外の相同組み換え修復関連遺伝子を検索することはPARP阻害薬の治療効果予測となる可能性がある。
MGPにより単一の遺伝子検査よりもVUS検出率が増加する。遺伝性乳癌に対する23のMGP検査をまとめたレビューの報告によると全VUS検出率は0.6~88%であり,VUS率は病原性が不確実なバリアント保持に対する費用負担・不安に思う負担が生じ得ることが問題として述べられている19)。検索する遺伝子数が増加するとVUS率も増加する11)。HBOCの大規模コホートに対しACMG*のバリアント分類ガイドラインを病原性判定に使用したマルチ遺伝子パネルMGPの報告では,25遺伝子パネルにより,28.7~34.8%のVUS検出率と報告されている20)21)。また,乳癌を対象としたMGPの4つの研究のプール解析の結果では,VUS率が最も高い遺伝子はATM(6.15%)であった。BRCA1/2以外の遺伝子では病的バリアント保持率よりもVUS率のほうが総じて高い結果であった22)。臨床ではMGPによりVUSの結果に遭遇する機会が明らかに増えるため,各診療科と遺伝診療部門が連携をとり,適切な対応ができるようにしておくことが望まれる(遺伝BQ8 参照)。
ACMG:American College of Medical Genetics and Genomics
米国では単一の遺伝学的検査よりMGPを行うほうが主流である23)。しかし,わが国では保険未収載のためクライエントに高額の費用負担が生じる。また検査工程時間が単一の遺伝子の検査よりも長く,PARP阻害薬のコンパニオン診断として承認をされていないため,薬剤選択や術式選択が必要な場合や,特定の遺伝性腫瘍症候群の表現型がはっきりしている場合には,単一の遺伝子の検査を優先して行い,陰性だった場合に改めてMGPの施行を検討したほうが適切な症例もある(遺伝BQ7 参照)。
以上より,MGPは適切な対象や施行時期を個々に検討し,多様な症候群を呈する遺伝子に対応可能な体制下での施行が望まれる。がん診療とがん予防の面で,MGPの保険収載は喫禁の課題である。
familial/hereditary cancer,multi gene panel/multi gene testing/non BRCA,breast/ovary/ovarian/HBOC