Ⅱ-3 卵巣癌領域
すべての卵巣癌・卵管癌・原発性腹膜癌患者には家族歴に関係なくBRCA遺伝学的検査を考慮してもよい。
遺伝性乳癌卵巣癌(hereditary breast and ovarian cancer:HBOC)のリスクが高いと考えられ遺伝学的検査を勧めるべきとする卵巣癌患者については世界各国で様々な基準が設けられているが,国際共通のコンセンサスがあるものではない。NCCN*のガイドラインでは,発症年齢に関係なくすべての卵巣癌患者にBRCA遺伝学的検査を推奨している1)。米国SGO*のガイドラインでもすべての卵巣癌・卵管癌・原発性腹膜癌患者に家族歴に関係なくBRCA遺伝学的検査を推奨している2)。一方で,英国NICE*のガイドラインではリスク評価ツールにより検査前確率が10%以上と算出される場合を対象としている3)。わが国においても,卵巣癌におけるBRCAバリアントの頻度,組織型との関連について報告がされた背景のもと,どのような卵巣癌患者に対してBRCA遺伝学的検査を行うべきか検討した。
NCCN:National Cancer Comprehensive Network
SGO:Society of Clinical Oncology
NICE:National Institute for Health and Care Excellence
生殖細胞系列のBRCA病的バリアントを有する卵巣癌は病的バリアントのない卵巣癌と比して短期予後においては良好であるものの,この優位性は観察期間とともに減少し,特にBRCA1病的バリアント症例では観察期間4.8年でBRCA病的バリアントのない卵巣癌の予後を下回ることが知られている4)。また,初回治療においても再発後治療においてもプラチナ感受性が高いことが知られている5)~7)。BRCA病的バリアントを有する卵巣癌はリポゾーマルドキソルビシンの感受性が高いことも報告されている8)9)。さらに,BRCA病的バリアントを有する細胞はDNAの二本鎖切断に対する相同組み換え修復機構が欠損していて,DNAの一本鎖切断修復酵素のポリ(ADP—リボース)ポリメラーゼ〔poly(ADP—ribose)polymerase:PARP〕を特異的に阻害するPARP阻害薬によって合成致死に陥ることが知られている。国際共同第Ⅲ相臨床試験であるSOLO—1試験ではBRCA病的バリアントを有する進行卵巣癌に対する初回化学療法後のPARP阻害薬オラパリブによる維持療法の有効性が検討された10)。その結果,プラセボ群の無増悪生存期間中央値が13.8カ月であるのに対して,オラパリブ群は未到達と有意にオラパリブ群で統計学的に有意かつ臨床的に有意義な無増悪生存期間の延長が認められた〔HR:0.30(95%CI:0.23—0.41,P<0.0001)〕。また,国際共同第Ⅲ相臨床試験であるSOLO2試験ではBRCA病的バリアントを有するプラチナ製剤感受性再発卵巣癌を対象とし,ベバシズマブを含まない化学療法を直前に4サイクル以上行い完全奏効あるいは部分奏効を得た症例に対するオラパリブによる維持療法の有効性が検討された。その結果,プラセボ群での無増悪生存期間中央値が5.5カ月であるのに対してオラパリブ群では19.1カ月と無増悪生存期間の有意な延長を示した〔HR:0.30(95%CI:0.22—0.41,P<0.0001)〕11)。このように,卵巣癌の患者に対するBRCA遺伝学的検査は,卵巣癌患者の予後予測や,プラチナ製剤感受性,リポソーマルドキソルビシン感受性,PARP 阻害薬感受性の予測において重要な役割を果たす。加えて,患者本人の将来の乳癌発症リスクの予測,血縁者の卵巣癌,乳癌発症リスクの予測の観点でも意義があると考えられている。
卵巣癌のBRCA病的バリアントの頻度を報告した論文によると,漿液性癌の5~18%,類内膜癌の0~13%,明細胞癌の0~13%にBRCA病的バリアントを認めると報告されてきた5)12)~15)。一般的に,遺伝性腫瘍の発生年齢は散発性腫瘍の発生年齢より若いとされているが,BRCA病的バリアント保持者の25%以上は60歳以上で卵巣癌を発症しており,卵巣癌の発症年齢はBRCA病的バリアントの有無と相関しない5)12)~15)。またBRCA病的バリアントを有する卵巣癌の35~40%は明らかな家族歴がなく5)12)~16),発症年齢,家族歴はBRCA遺伝学的検査をする良い指標とまではいえない。また,卵巣癌の組織型とBRCA病的バリアントの関係については,1,915例の卵巣癌のBRCA病的バリアントを検出した報告によると,高異型度漿液性癌1,498例の16%(BRCA1:10.3%,BRCA2:5.7%),高異型度類内膜癌64例の10.9%(BRCA1:6.3%,BRCA2:4.7%),明細胞癌58例の6.9%(すべてBRCA1),低異型度漿液性癌70例の5.7%(BRCA1:4.3%,BRCA2:1.4%)にBRCA病的バリアントを認めたが,低異型度類内膜癌13例,粘液性癌16例にはBRCA病的バリアントを認めなかった17)。わが国における卵巣癌のBRCA病的バリアントの頻度については,230例の日本人卵巣癌患者においてBRCA1病的バリアントを19例(8.3%),BRCA2病的バリアントを8例(3.5%)認めたとの報告がある18)。これらBRCA病的バリアントは高異型度漿液性癌において有意に多くみられたが,他の組織型でも検出されていた。さらに,発症年齢との関連性は認めなかったが,卵巣癌家族歴については1人以上の卵巣癌家族歴を有する例で有意に検出された〔オッズ比:6.58(95%CI:1.52—28.60,P=0.0119)〕。また,634例の日本人卵巣癌患者についての解析では,BRCA病的バリアントを93例(14.7%),そのうちBRCA1が9.9%,BRCA2が4.7%であり,その他29例(4.6%)で病的意義が不明なバリアント(variant of uncertain significance:VUS)を検出していた19)。FIGO*(国際産科婦人科連合)手術進行期別ではⅠ期3.4%,Ⅱ期9.9%,Ⅲ期25.4%,Ⅳ期20.0%と進行癌症例でBRCA病的バリアントが多くみられた。癌種別では上皮性卵巣癌12.7%,卵管癌29.2%,原発性腹膜癌21.2%でそれぞれBRCA病的バリアントがみられた。組織型別では漿液性癌全体で28.3%,類内膜癌6.7%,明細胞癌2.1%でBRCA病的バリアントがみられた。早期の非漿液性癌症例でも検出されていることや,粘液性癌と漿液粘液性癌では検出されなかったものの症例数が19例,4例と少数であったことに留意が必要である。第一度あるいは第二度近親者でのHBOC関連腫瘍の罹患歴との関係では,卵巣癌家族歴のある場合で63.9%,女性乳癌の家族歴のある場合で31.4%,膵癌の家族歴のある場合で22.6%,前立腺癌の家族歴のある場合で18.8%と,卵巣癌家族歴のある場合でBRCA病的バリアントが多く認められたが家族歴のない症例でもBRCA病的バリアントがみられたことを考慮する必要がある。
FIGO:International Federation of Gynecology and Obstetrics
卵巣癌患者に対するBRCA遺伝学的検査の事前説明と同意は原則として主治医が実施するが,遺伝カウンセリングに関する基礎知識・技能についてはすべての医師が習得しておくことが望ましいとされ,卵巣癌診療に関わる医療従事者は各種セミナーや講習会等の教育機会へ参加することが望まれる。また,患者の検査結果が陽性であった場合,その近親者への対応を構築する必要があるため,自施設もしくは地域において臨床遺伝専門医や認定遺伝カウンセラー等の専門家との協力体制を確立しておくことは必須である。さらに,遺伝学的検査の結果は高いレベルで管理されるべき個人情報であるため,院内における遺伝情報の管理方法について検討しておく必要がある。検査費用については2020年4月より,乳癌,卵巣癌の患者を対象に血液を検体としたBRCA遺伝学的検査が保険収載されたことを付記しておく。
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