JOHBOC 日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構 | 編

遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)診療ガイドライン
2021年版

遺伝性乳癌卵巣癌(hereditary breast and ovarian cancer:HBOC)と診断された方にとって,その変えることができない事実を受け止めながら前進するためには,当事者(BRCA病的バリアント保持者)と医療者が,わかっていること,わかっていないことを整理しながら,ともに考え,一人一人の価値観にあった選択肢を協働意思決定していくことはとても重要です。さらにはその血縁者に対しても知る権利と知りたくないという二つの思いを受け止めサポートしていくことが必要です。このガイドラインはその協働意思決定を支援する目的で作成いたしました。

今回のガイドラインの前身は,厚生労働科学研究(がん対策推進総合研究事業)の研究班「わが国における遺伝性乳癌卵巣癌の臨床遺伝学的特徴の解明と遺伝子情報を用いた生命予後の改善に関する研究」(研究代表者 新井正美)によって作成された「遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)診療の手引き2017 年版」です。その後,遺伝医療の診療現場への積極的導入などの変化から,HBOCに関するニーズが広く認識されるようになり,2016年8月に同研究班からHBOC診療体制の整備拡充のために発足した日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC)の下にガイドライン作成部会が作られ,今回,Minds「診療ガイドライン作成マニュアル2017」の作成方法を遵守し,ガイドラインとして作成したものが本書になります。

2020年は変化のうねりの中で,それに適応しながら進んだ年となりました。今回のガイドライン作成にあたりCOVIDー19感染症という大きな障害が起こりながらも,その中で急速に広がったオンラインでの会議を用い意見を交わすと言う方法がとられたことも新たなガイドライン作成の手法でした。延べ30 回以上にわたるオンラインでの会議を開催し,また推奨決定の会議等では,オンラインという特性からも当事者の方の意見も必ずお聞きするように努め,ある意味では今までとは違った進め方をして作成されたガイドラインであると思います。その間,2020年4月に遺伝性乳癌卵巣癌診療の一部が保険収載されたことはわが国の遺伝医療における大きな一歩であると思われます。さまざまな変化の中で,一人一人の価値観に合った選択肢をサポートし,そしてさらにはその血縁者の思いにも寄り添い,BRCA病的バリアント保持者と医療者が多様な価値観を反映した上で意思決定をする際に,このガイドラインが一役を担うことができましたら幸いです。

最後に,大変なご尽力をいただいた委員の皆様,および色々な局面で相談をさせていただきました中村理事長はじめ統括委員の先生方に心より御礼申し上げます。また,当事者の方々には長時間にもかかわらずオンラインでの推奨決定会議にご参加いただき,ご自身の経験からとても大事なご意見を賜り心からの敬意と感謝を表します。さらには,JOHBOC事務局の下田様,島本様,横山様の事務的なサポートがなければ進めることはできませんでした。金原出版編集部スタッフの皆様の出版までの綿密かつ入念なチェックにより完成することができましたことに感謝いたします。

2021年7月

日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC)
ガイドライン作成部会 委員長 山内英子

遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)
診療の手引き2017年版

遺伝性乳癌卵巣癌症候群(hereditary breast and ovarian cancer syndrome:HBOC)は,その存在自体がわが国では医療者および一般社会において,まだ十分に認識されていない病態である。日常診療の中で多くのHBOC に遭遇しているはずであるが,HBOCの存在に気がつかなければ医療者側からのアプローチは不可能であり,実際それでも通常のがん診療は実施可能である。しかし,がんの診療の際に,個々のがん治療だけではなく,さらに患者の将来を見据えたトータルなケアの機会を提供できれば本人にとってもその意義は大きい。

今回,われわれの厚生労働科学研究班(がん対策総合推進総合研究事業)では,わが国のHBOC診療の基盤を整備すべく,全国登録システムの構築や一般社団法人日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC)の設立などに取り組んだ。さらに,一般市民を対象としたHBOCの普及活動も行ってきた。その活動の一環として,現在のHBOCの最新の知見を総括して評価すること,わが国の医療制度の中で実施可能な対策を提案することを目的に本「診療の手引き」を作成した。また,本診療の手引きを作成するにあたり,既存の「乳癌診療ガイドライン2015年版」や「卵巣がん治療ガイドライン2015年版」との整合性には配慮したが,当初の原案でも大きな齟齬は認めなかった。

今後,わが国でもBRCA遺伝学的検査の情報に基づいた,リスク低減手術やマネジメントが一般に普及すると思われる。さらにPARP阻害薬の適応を決めるためにBRCA遺伝学的検査が実施されるようになることも予想され,関係する診療科の一般医家にとってもHBOCへの対応は避けて通れない時代になる。医療者は生殖細胞系列の遺伝子検査の特徴を十分に理解したうえで,BRCA遺伝学的検査を担当することが望まれる。HBOCのみならず遺伝性腫瘍は生殖細胞系列の変異に起因するため,患者や家族のケアが単一臓器の診療科で完結できるわけではなく,複数の診療科や遺伝カウンセリング部門が連携してマネジメントを行う必要があることも大きな特徴である。

さらに今後,遺伝学的検査はマルチ遺伝子パネル検査などより多くの遺伝子,より発症リスクの低い遺伝子にまで適応が広がることも想定される。その前に,われわれは変異が見つかった場合の具体的な臨床上の対策について,実際の臨床でこれらの情報をどのように活用するかを併行して考えていかなければならない。

今回,多くの関係者の熱意や誠実な取り組みがなければ,本診療の手引きは完成できなかった。それはわが国のがんの遺伝医療そのものの歩みと類似しているように思われる。また,今回の診療の手引きでは多くのエビデンスが欧米を中心とした海外のデータである。これからはわが国の医療者がHBOC診療の主人公となって,それぞれの経験やデータを持ち寄って,より良いわが国の診療の手引きを改訂・作成されることを切に希望する。

2017年9月

「わが国における遺伝性乳癌卵巣癌の臨床遺伝学的特徴の解明と
遺伝子情報を用いた生命予後の改善に関する研究」班
研究代表者 がん研有明病院 遺伝子診療部 新井正美