Ⅱ-1 遺伝子診断・遺伝カウンセリング領域
BRCA1/2病的バリアントに対する着床前遺伝学的検査(PGT-M)の選択肢がBRCA1/2病的バリアント保持者にも生じ得るが,現在までは“適応”とは認められてこなかった。現在,国際的にもHBOC に対するPGT-M について推奨を示唆するガイドラインはなく,様々な議論が進行中のテーマである。2022 年の日本産科婦人科学会のPGT-M に関する見解改定に伴い,“疾患の重篤性”の解釈における時代の変化等を考慮し,HBOC に対するPGT-M の適応の妥当性について改めて協議する余地を残しており,今後の議論の成熟が待たれる。
近年の生殖補助医療の発達により,わが国の体外受精・顕微授精による児の出生は11.6 人に1 人(2021 年)となり1),生殖補助医療による妊娠・出産は以前よりも一般的になってきた。また,2022 年度からは,日本産科婦人科学会の高度生殖補助医療(assisted reproductive technology:ART)登録施設における一般的な体外受精・顕微授精に対し保険適用が開始となった。このような生殖補助医療の過程において,BRCA1/2病的バリアントに対する着床前遺伝学的検査(pre-implantation genetic testing for monogenic disorders:PGT-M)の併用の選択も技術的には可能となっている。しかし,わが国における単一遺伝子疾患を対象としたPGT-M は,「成人に達する以前に日常生活を強く損なう状態が発現したり生存が危ぶまれる」ような“重篤”な疾患が妥当である,として日本産科婦人科学会で承認してきた経緯(非公開議事録より引用)があり,成人発症疾患であるHBOC はこれに該当しないため適応とはなってこなかった。一方,海外では,2003 年にESHRE*の倫理部会は,HBOC もPGT-M の対象とすることを発表し2),以後,一部の国(米国,英国,ドイツ,フランス,オランダ等)では,成人発症の単一遺伝子疾患に対する着床前診断も“性と生殖に関する健康と権利”,セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(sexual and reproductive health and rights:SRHR)の一環として倫理的に許容されている。しかし,その条件として,複数施設での倫理委員会で承認されていることや,公的な委員会等で“重篤”な疾患であると認められていることなどを定めている国もある。一方,米国小児科学会等一部の団体は,予防的介入医療がない成人発症疾患に対する児(胚)の遺伝子診断に対し,児の「遺伝情報から自由でいる権利」の侵害であり不適切だとして反対している3)。
わが国では,2018 年に従来の疾患重篤性の基準に該当しない“網膜芽細胞腫”の病的バリアントをもつカップルからの申請を機に,このような海外の状況も踏まえ,日本産科婦人科学会主導で2020~2021 年にPGT-M(重篤な遺伝性疾患に対する着床前遺伝学的検査)に関する倫理審議会(第1~3 部)が開催され,多方面の有識者・一般からの意見も集め議論を行った。従来の“疾患重篤性”の判断についての妥当性が問われることとなり,時代に合わせて適応していく必要があるとの方向性で合意に至った。その後の2022 年の見解改定では,“着床前遺伝学的検査の適応となる重篤な遺伝性疾患の重篤性の定義は,「原則,成人に達する以前に日常生活を強く損なう症状が出現したり,生存が危ぶまれる状況になり,現時点でそれを回避するために有効な治療法がないか,あるいは高度かつ侵襲度の高い治療を行う必要がある状態」とする”と明記され,改定された“「重篤な遺伝性疾患を対象とした着床前遺伝学的検査」に関する見解”が発表された。この新見解により,従来は“不承認”とされてきた,20歳までに死亡に至らない,また寝たきりにならないような疾患,例えば,成人期以降に発症する可能性がある遺伝性腫瘍の家系におけるPGT-M 等についても,一律不承認ではなく,申請カップルの個別の生活背景や置かれた立場を考慮したうえで,PGT-M 臨床倫理個別審査会で改めて審議する方針となった。
ESHRE:European Society of Human Reproduction and Embryology
HBOC に対するPGT-M の適応については,現在も国際的ガイドラインにおける推奨はなく,わが国のみならず国際的にも様々な議論が進行中のテーマである4)。しかしながら,当事者であるBRCA1/2病的バリアント保持者における絶対的な情報不足も指摘されており5),当事者の心理的サポートに加え,それを支える医療従事者や体制,資源の充実が喫緊の課題である6)。情報提供資料の1つとして,日本産科婦人科学会では学会ホームページにてPGT-M についての情報提供動画を作成した。PGT-M をお考えのカップル向けに2本の動画が公開されている7)。
2017 年のChan らの報告8)において,BRCA1/2病的バリアント保持女性全1,081 人(平均年齢44 歳)のうち,パートナーがおり家族計画が終了していなかった284 人(26.2%)を対象とした調査で,「実子をもつか決めるにあたって影響があった」と答えた割合は40.8%であった。その理由の内訳は,①挙児を急ぐことにした(43.1%),②子どもへの病的バリアントの伝達を考え実子をもたないことにした(17.2%),③今後子どもをもつことをやめた(自身の妊娠が発がんに影響するため)(10.3%),④自分ががんになった場合のことを考えて子どもをもたないことにした(10.3%),⑤養子を考える(4%)であった。また,「不妊治療に対する意識が変わった」と答えた人は17.7%で,①挙児を急ぐために不妊治療を考える(34%),②PGT-M を考える(34%),③卵子提供を考える(12%)であった。
米国ではHBOC を含めた,生命を脅かす症状を成人期に生じ得る遺伝性疾患のPGT-M についても倫理的に正当化され得る,という見解がある他2),欧州においても,各国の基準に基づいて成人期発症疾患に対するPGT-M が実施されている9)。そのような現状において,BRCA1/2病的バリアント保持者を対象とした欧米における横断研究では,BRCA1/2病的バリアント保持者のPGT-M の認知率は6~7 割で,PGT-M 実施の自身における検討は,2~4 割であった10)~14)。PGT-M の選択に肯定的な影響を与える因子として,①すでに関連がんを診断されている,②女性,③若い,④信仰心が薄い,⑤すでに不妊症と診断されている,⑥今後の挙児希望がある,⑦出生前遺伝学的検査の受検既往がある,等がいわれている15)。なお,わが国のBRCA1/2病的バリアント保持者におけるPGT-M 検討に対する意識調査のデータはない。
6人の乳癌既発症者を含む,70 組のBRCA1/2病的バリアント保持者カップル(うち男性病的バリアント保持28 組)において,145周期(うち3周期は保存胚)に対しPGT-M を実施したベルギーとオランダにおけるコホート研究16)では,親と同じ病的バリアントを有さない294 胚(/720 胚,40.8%)を得て36 人(38 児)が出産に至った。BRCA1/2 病的バリアント保持女性41 人のうち,2 人(未発症者1人,対側既発症者1 人)においてPGT-M 目的の不妊治療開始直後に新規乳癌が診断された。よって,がん未発症BRCA1/2病的バリアント保持者を対象としたPGT-M 後の生児獲得割合は良好(33/64組,52%)であるが,がんの既発症者を対象とした実施例の報告はいまだ少ないのが現状である。
pre-implantation genetic testing for monogenic disorders,PGT-M,PGT-M for serious adult-onset conditions,sexual and reproductive health and rights,SRHR