Ⅱ-1 遺伝子診断・遺伝カウンセリング領域
遺伝学的検査を望むかどうかはクライエント個人の自由な意思による決定であり,医療提供者はクライエントがなぜ検査を望まないのかという意思決定のプロセスを理解することに努め,その選択を尊重する。遺伝学的検査を望まない場合でも,医療提供者はクライエントのリスク評価と状況に基づいて継続的に適切な医学的管理の提案や情報提供を行う。クライエントの将来的な遺伝学的検査受検の再考やリスクの変化に備え,柔軟に対応できる相談窓口や適切な支援,情報が提供できる体制を整備する。
遺伝性腫瘍の可能性が疑われる個人やその血縁者に対して,ガイドライン等で受検の提案が推奨されているからといって,確定診断の手段として遺伝学的検査を実施すべきと指示しているわけではない。遺伝学的検査を受けるかどうか,いつ受けて結果を知るかは,十分な情報を得たクライエント自身の意思によるものであり,その結果として検査を望まない選択肢も存在する。医療提供者はクライエントの意思を尊重するためにも,なぜ検査を望まないのかというクライエントの意思決定のプロセスを理解する必要がある。そこには遺伝学的検査の経済的負担や検査の限界,検査結果に対する不安,結果に基づく将来への不確実性,遺伝情報の漏洩への不安等の倫理・社会的問題等が影響していることがある。医療提供者は,偏りのない情報提供や公平な態度に基づく適切なコミュニケーションを心がけ,クライエントの情報の理解に基づき,心理的安全性が保たれた状況で意思決定できるよう継続的に支援する役割を果たす必要がある。
クライエントが遺伝学的検査を望まない場合,上記のような背景が考えられる。これらの背景は個々の理由としてあるというよりは,それぞれが複雑に影響しあっていることが多く,クライエントの状況によっても大きく異なる。またクライエントにとって遺伝学的検査の選択肢を提示されたこと自体が心理的負荷となることもあり,検査を望まない選択をすることによってこの状況から受ける負担が軽くなることがある。
こうした様々な背景のうち,遺伝学的検査の情報提供等については実施する環境を整えることで対応できることもあるが,家族や血縁者への影響や経済的,社会的課題についてはすぐに解決しないこともある1)。クライエントが置かれている状況から,何が大きく影響しているのかアセスメントをすることが必要となる。
クライエントが「検査を望まない」という医療提供者に言い出しづらいと感じる決定について,医療提供者は懸念事項や不安を話しやすい環境をつくり,また話しても大丈夫だと思えるような態度,コミュニケーションを心がける必要がある。またクライエントが遺伝学的検査を望まない場合でも,その選択を尊重し,否定や批判をしないことを意識する。このクライエントの検査を望まないという決定自体が当人の治療や医学的介入を脅かすことがないよう,その場合の治療の選択についても十分に説明を行う。
治療等で時間的な制約がある場合においても,いつまでに決めればよいのかについて,治療のスケジュールを考慮し,クライエントが自分の価値観や優先事項に基づいて判断するための時間を確保できるよう補助する。
NCCN ガイドラインでは遺伝学的検査を希望しないクライエントに対しては,遺伝学的検査結果が陰性だった場合と同様,実際には個々の既往歴や家族歴に応じた適切な医学的管理を提案することになる2)(遺伝 BQ6参照)。しかし,わが国において HBOC と診断がついていない場合の定期的なMRIの撮像や卵管・卵巣の検診,膵臓や前立腺の検診は保険適用外のため,遺伝学的検査を望まない場合の非発症臓器への対策については,その経済的負担も含めて十分に相談し検査を実施するかどうか検討する必要がある。また,クライエントは一度決めた遺伝学的検査の選択を変えること,そしてそれを医療提供者に伝えることを心理的に負担と感じることがあるため,事前に医療提供者からは遺伝学的検査の意思はいつでも変えられること,自分や血縁者についての遺伝に関する相談のために遺伝カウンセリングが利用できることを伝えることも必要となる。
医療提供者は,遺伝学的検査を望まないという意思決定自体がクライエントや血縁者のQuality of Life に与える影響を総合的に評価する必要がある。その価値観は時間の経過や社会情勢,医療体制・遺伝学的検査の項目や費用の変化,クライエントのライフイベント,家系内での新たながん発症者の発生や,血縁者の遺伝学的検査の実施等により,変化する可能性があることを十分に理解し,受診が継続しているクライエントであれば,各診療科の診察のタイミング等遺伝カウンセリング以外の場面でもクライエントの意向を聞き取れる関係性を構築しておくことが望ましい。