Ⅱ-5 膵癌領域
膵癌と診断されたすべての患者に,BRCA 遺伝学的検査は意義があり検査することが望ましい。BRCA1/2 の生殖細胞系列病的バリアントを有する血縁者がいる場合,BRCA1/2 に関連した癌(乳癌,卵巣癌,膵癌,前立腺癌)の家族歴や既往歴がある場合,家族性膵癌家系の場合は検査効率の観点か らもより意義が高まる。また,切除不能膵癌ではポリ(ADP-リボース)ポリメラーゼ(PARP)阻害薬による維持療法の適応判断(コンパニオン診断)の意味でBRCA 遺伝学的検査の意義が高い。
膵癌は一部に家族集積を認めることが以前より知られており,家族性膵癌〔第一度近親者間(親,きょうだい,子ども)に膵癌が2 人以上いる家系で発症した膵癌〕という概念が提唱されてきた。これらの定義に当てはまる膵癌患者においては10~20%程度に遺伝性腫瘍関連遺伝子の生殖細胞系列病的バリアントが認められることが報告されており,BRCA2,CDKN2A/p16,MLH1,MSH2,MSH6,PMS2,PRSS1,STK11,TP53 等があげられ,最も頻度が高いのがBRCA2 で膵癌患者の約2.5~5%に陽性と報告されている1)2)。これらの遺伝子の生殖細胞系列病的バリアントは膵癌発症のリスクを高めるとされており,特にSTK113)~6),PRSS17)~9),CDKN2A/p1610)でリスクが高いと報告されている。BRCA2 についてはリスク比3.5,累積発症率2~3%程度と報告されていたが11),近年の日本からの報告によると85 歳までの膵癌の累積罹患リスクは13.7%と報告されている12)。生殖細胞系列病的バリアントは,家族性膵癌の定義に該当する膵癌患者では10~20%で検出されると報告されているが13)~15),一方で家族歴を認めない膵癌患者においても4%程度検出されるとの報告がある1)16)。そのため,家族歴の有無にかかわらず,膵癌患者において生殖細胞系列病的バリアントを検査することで,患者および家族の今後の膵癌およびその他の悪性疾患の発症のリスク評価に活用できる情報が得られる。米国のNCCN*ガイドライン17)は家族歴等の臨床情報にかかわらず膵癌と診断された時点ですべての患者に包括的な生殖細胞系列の遺伝学的検査を推奨する立場をとっている。これは特徴的な家族歴がなくても生殖細胞系列病的バリアントを有する事例があること,また,膵癌は予後が短い患者が多く発端者診断が実施可能な時期が限られてしまうこと等が根拠である。ASCO*のガイドライン18)での推奨はこれよりは少し控えめで,膵癌と診断されたすべての患者は,遺伝性症候群のリスク評価(がんの既往歴や家族歴の聴取等も含む)を受けるべきである,といった立場をとる。
BRCA 遺伝学的検査は治療薬の適応判断(コンパニオン診断薬)としての意味合いももつ。BRCA1/2 生殖細胞系列病的バリアントの保有者で,一次治療のプラチナレジメンで16 週以上病状進行が抑えられた遠隔転移を有する膵癌患者に対し,PARP 阻害薬であるオラパリブによる維持療法を行った群ではプラセボ群と比較して無増悪生存期間が有意に長いことがランダム化第Ⅲ相試験で示された〔中央値7.4 カ月vs. 3.8 カ月,ハザード比(hazard ratio:HR):0.53(95%CI:0.35-0.82,POLO 試験)〕19)。わが国ではオラパリブは2020 年12 月に「BRCA 遺伝子変異陽性の治癒切除不能な膵癌における白金系抗悪性腫瘍剤を含む化学療法後の維持療法」として薬事承認され,BRCA1/2 の生殖細胞系列の病的バリアントの有無を検査するコンパニオン診断薬(BRACAnalysis 診断システム検査)も同時に承認されており,検査のアクセスに関しても体制が整備されている。
NCCN:National Cancer Comprehensive Network
ASCO:American Society of Clinical Oncology
前述の通り,膵癌はBRCA1/2 関連腫瘍の1 つと考えられていることから,膵癌と診断されたすべての患者に,BRCA 遺伝学的検査は意義があり検査することが望ましく,実際米国のガイドラインではすでに方針が示されている。一方で,日本国内の膵癌の臨床現場で「すべての膵癌患者に遺伝性乳癌卵巣癌(hereditary breast and ovarian cancer:HBOC)診断目的でBRCA 検査を実施する」ことにコンセンサスが得られているわけではなく,また,「膵癌発症」のみではHBOC 診断目的のBRCA 遺伝学的検査は保険診療での実施は認められていない。この点は米国のガイドラインとは温度差がある。遺伝診療の専門家の数,臨床医・患者の関心や理解度が整わないうちに,ただちに全膵癌患者に遺伝子検査を実施するのは混乱を招く可能性もあり,現実的ではないが,今後すべての膵癌患者に検査およびその後のサポートも含め提供できる体制整備が必要である。そのため,膵癌の診療に携わる医療者は遺伝性腫瘍の(家族歴の聴取等も含めた)リスクの評価に対応できるよう遺伝性腫瘍の知識を深め,遺伝性腫瘍の診療に携わる医療者(臨床遺伝専門医,認定遺伝カウンセラー,遺伝看護専門看護師等)は膵癌についての知識を深め,患者のニーズに応えられるよう診療体制を整備する必要がある。また,膵癌患者におけるHBOC 診断目的での遺伝学的検査や,遺伝学的に膵癌発症のハイリスク状態にある個人に対する早期発見に向けたサーベイランスの保険承認も望まれる。BRCA1/2 の生殖細胞系列病的バリアントを有する血縁者がいる場合や,BRCA1/2 に関連した癌(乳癌,卵巣癌,膵癌,前立腺癌)の家族歴や既往歴がある場合,家族性膵癌家系の場合は陽性率も高い20)ことから検査効率の観点からはより意義が高い。
前述の通り,PARP 阻害薬はすでに国内でもBRCA1/2 の生殖細胞系列病的バリアント陽性の進行膵癌患者に対して臨床応用されている。POLO 試験では全生存期間の延長は証明されていない点や高額な検査費用については留意すべきであるが,治療選択肢がまだまだ少ない膵癌において,治療選択肢が増えることは大変貴重であり,検査の意義が高い。
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